第4回目は濱守さんの「311への想い」をご紹介します。


復興地からの情報を現在も支援活動されている方々に聞いてみました。
復興地の今
テレビでは映らない、ラジオでは聞こえない、ネットの記事もない。
そんな状況下でも支援活動を継続している彼、彼女に質問してみました。
今なにが必要で、どうのうなことが大事かと。


第4回目は濱守さんの「311への想い」をご紹介します。
今回、国道45号線のシンガーソングライター濱守栄子さんが2012年3月にまとめたノートをご紹介いたします。


なが~く書きたかったので、初めてノートで書いてみようと思う。

 
あの日から、1年と3日経った。

「一年経ってみて、どんな気持ちですか?」と質問された。

正直、その質問に何の意味があるのだろうと想った。

私にとっては、311は、震災を思い返すような特別な日ではない。
私にとっては、あの日から一年間、毎日毎日が特別な日だった。
毎日毎日思い返しては
毎日毎日被災地のことを・・・一日だって忘れたことはない。

自分だけ普通の生活していることが、本当に申し訳なく思っていた。

何もできない自分が無力に思えた。

***********************

私は上野であの地震を体験した。
その日は家に帰れず、次の日の朝9時ぐらいにようやく家に着いた。

大金をはたいて買った地デジ対応テレビが、地震で落下して壊れてなきゃいいな・・・
コップとか、ガラスとか割れてなきゃいいな・・・
そんな心配をしながら家に入った。

結果、テレビも食器類も全て普通だった。
電気も水道も普通に通っていた。

私はひとまず安心した。

そして、その落下しなかったテレビを付けた瞬間・・・言葉を失った。

目に飛び込んできたのは、陸前高田市だった。

そこにあったはずの・・・町が・・・ない。
マイヤしかなかった。

テレビや食器の心配をしていた自分が、どんなに小さい人間なんだろうと思った。
知らなかった・・・私のふるさとがこんなことになっている。

呆然とテレビを見ていたら、会社の上司から電話がかかってきた。
そこで、初めて大声上げて泣いた。
泣いてもどうにもならないことは分かっていた。
でも、あの映像を見たら・・・正直誰も生きていないんじゃないかと思った。

その日一日何もする気になれなかった。
ご飯を食べていいものか悩んだ。
被災地の人を考えたら、自分だけあったかい布団で寝ることに罪悪感をずっと持っていた。

歌うことも何にもならないと思った。
歌を作る気になんてならない。

何をすることもためらった。

自分が小さいと思わされた。
だけど、何かしたいと思った。

「国道45号線」が完成。4月末だった。

完成したその日に、偶然レコード会社から電話がかかってきて
「HAMAさんのふるさとを応援したいから、何かできることはないか?」と言ってもらった。
「曲を作ったから聴いて欲しい。この売り上げを被災地への義援金にしたい。聴いてから判断していいから」と
家に帰って早急に仮レコをしてレーベルに送って
私は4月30日、初めて大船渡へ帰った。

その日のうちにレーベルから電話が来て
「泣きながら聴いた。これは絶対CDにして売ろう。利益は(レコード会社には)いらないから」と
とても嬉しい言葉をもらった。

4月30日
うちの実家のお店に集ってくださった近所の人たちに初めて
できたばっかりの「国道45号線」を聴いてもらった。

みんな感動してくれて、もっと沢山のところで歌えと言われ
避難所を紹介してもらった。

それから、避難所を回って歌わせていただいた。

ゴールデンウイークがあけ、東京に戻ってからすぐにレコーディングに入った。
同時にアレンジの打ち合わせ。
関係者はほとんど寝ずに徹夜で取り掛かってくれた。

まだネットも水道も使えない中、ジャケットデザインののろこさんとのデータのやり取りも苦戦した。

母親が行方不明の状態のカメラマン大坂康君にも、裏ジャケットの編集を無理言ってやってもらった。

この「国道45号線」には
沢山の人の沢山の想いが込められている。
私だけの想いではない。

だから、私は歌わなければならないのだ。

不思議なことに、被災地でこの歌を歌っても
涙が出ることはなかった。

お客さんが涙してくれた。

でも、被災してない地域で歌うと、逆に私が泣いた。

みんなの泣き所になればいい・・・そう思うようになった。
それは、私も含めて。

私は、自分が泣きたかったのかもしれない。
だから、歌っているのかもしれない。

でも時に
「歌わされている」と思うときもあった。

それでも、歌うことは止めれなかった。

止めてしまえば、自分が堕ちていくのが手に取るように分かったから。

震災から数ヶ月が過ぎ
東京では何事もなかったかのような空気が漂っていた。

私はいつしか、人との交流を避けるようになった。

今までもほとんど・・・
平日、職場の人とランチに行ったりすることはなかったが
まったく行くことはなくなったし
人と遊びに行くなんて事もなくなった
震災前から入っていたあるグループからも、距離を置くようになった。
いつまでも「震災震災」って言うことが、とても苦痛な空気がそこにはあったから。

分かってるんです。変わってしまったのは私の方だと。

何が自分をつき動かしているんだろう。
私は何かの病気になったんだろうか?
いつまでも震災にこだわっている自分の考えはおかしいのだろうか?

そう思うようにもなった。

そんな私の心の支えは
同じ志の人と一緒にいることだった。

その人たちと一緒にいると、もっともっとがんばろうって思えた。
応援もしてくれた。

「一緒にがんばっぺし」

「一緒にがんばろう」と言う言葉が、私の支えだった。

「がんばって下さい」と言われるのが苦痛だった。

他人事ですか?
一緒に頑張ってくれませんか?
何度も飲み込んだ言葉。。。

誰かに「支援してくださいませんか」と言いにくい中でも
ライブのMCでは自然と言えた。

私は、震災の風化を防ぐためと、大船渡と陸前高田の現状を知ってもらうためには
歌わなければならないんだと納得した。

だけど、それら全ては
決して被災地のためにやっているわけではなく

全て、自分のためなのだ。

「国道45号線」は、とってもメッセージ性が強い曲。
そのため、この楽曲を聴くと傷ついてしまう人がいるのも事実。

CDを買わない人が支援する気のない冷たい人・・・のように思わせてしまったかもしれない。
ごめんなさい。
震災を利用して売名行為だと思う人もきっと沢山いると思う。

それでも私は辞めない。

だって、まだ始まったばかりだもの。

まだまだ、義援金集めたいですもん。
私が、訴えなくなったら
誰か訴えるアーティストはいるだろうか?

居ないんですよ。

私以外に「国道45号線」を歌えるアーティストは
世界中どこを探しても居ないんです。

そこだけは、自信があるから、譲れないから

だから、これからも歌っていきます。

きっと被災地の人も、ボランティアの人も
被災地出身の人も

本当の戦いは、これからだと思っています。

がんばっぺし!!

2012.3.14
濱守栄子

2012年3月14日作成


濱守栄子さん応援濱守栄子さんのご紹介です。
岩手県大船渡市出身シンガーソングライターHAMAちゃんこと濱守栄子さん
3月11日東日本大震災チャリティCD「国道45号線」を濱守栄子名義初のシングル発売で、ただ今活躍中です。
活動内容はこちらをご覧ください。
オフィシャルブログのご紹介です!
HAMA(濱守栄子)ファンクラブ
俺と おまえと はまごろう・アメブロ
~HAMA Official Website~


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